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読んだ本紹介

第五の山

投稿日:

アルケミスト:お前が何かしたいと望む時、宇宙全体が協力してそれを実現するために助けてくれるのだよ

自分自身の運命を生きるという行為は、私たちの理解をはるかに超えた様々な出来事を含んでいます。

不可避な出来事。自分の人生はうまくいっていると思った瞬間、必ず何かが起きて、あなたを引きずり下ろすのです。

私たちを自らの運命の道へと戻すために、人生には様々な出来事が引き起こされるのです。自分が学んだことをすべて応用するために、いろいろな出来事が起こされるのです。そして最後に、私たちに教えを授けるために、何かがもたらされるのです。

こうした教えは痛みや悲しみを伴う必要はなく、ただ自律心と集中力があれば十分だということを述べています。

 

第一部

我々の魂は死の恐怖にとらわれているのに、今日はこんなにも美しい。

神の計画は、いつも我々の考えや感じていることと合致するわけではない。しかし、神がそのすべてに対して、理由を持っていることは確かだ。

死は一瞬であり、それだけなのだ。たとえ痛みを感じたとしても、それはすぐに過ぎ去って、主が、その胸に彼を抱いてくださるだろう。

彼は自分の存在の理由について考えたが、何の答えも得られなかった。

彼はただ、人生のほとんどすべての時にそうであるように、人は何かを決める力を持っていないということに、気づいただけだった。

魂もまた、小川や植物のように、別の種類の雨を必要としていた。希望、信仰、生きる理由だ。この雨がやってこないと、たとえ、肉体は生き続けていても、魂の全てが死んでしまう。

人は運命(宿命)と戦うことはできない。彼はすでにそれに挑戦して、敗れたのだった。

おそらく、人類が自らの運命を裏切るのは、神が身近な存在ではないからだろう。

「あなたは全ての物事がいかに単純であるか、わかったのです。」
勇気を持つだけで充分なのです。」

「人は自分の運命に向かって旅をするとき、しばしば道を変えざるを得なくなる。または、彼の周囲の力が強すぎて、勇気がくじけてゆずらざるを得なくなる。それもまた、修行の一部なのだ。」

私たちの人生には試練がやってくる時があります。しかし、何かの理由があって、それはやってくるのです。その理由は、試練の前には、いや、その最中でさえ、答えることのできない質問です。試練を克服したときにやっと、なぜ、その試練が起こったのか、わかるのです。

誰でも、自分の仕事に疑問を持ち、時にはそれを捨てる権利を持っている。しかし、人がしてはならないことは、その仕事を忘れることだ。自分自身に疑いを抱かぬものは尊敬に値しない。なざなら、自らの能力を全く疑わずに信ずるとき、人は傲慢という罪を犯しているからだ。

時として運命とは、彼が信じていることや怖れていることとは、まったく無関係であることに気が付いていた。

結果がどうであろうとも、すべて起こることには理由はあるということが、はっきりとわかったからだった。

誰でも主の力を持っている。しかし、それを使おうとするものはあまりいない。

 

第2部

祭司長は、人間が発明した破壊のための武器のうちで、最も恐ろしく、最も強力なものは、言葉であることを知っていた。言葉は、一切痕跡を残さずに、破壊を行うことができるのだ。

世界の歴史には避けることのできない事柄がある。我々はそれを受け入れるしかないのだ。

神は一人しかいません。同じ山なのに、見る方向によって、みんな違って見えます。すべての創造物はこれと同じです。同じ神が持つ、たくさんの顔なのです。

彼の心が警戒信号を出し始めた。彼はこの女のそばにいることを楽しんでいた。愛に打たれてしまったら、その結果に自分で責任を持たなければならないからだ。

他の人々の意見を気にせずに、自分の心が望むことを感じる。-それこそが自由だった。

「主は、憎しみを棄てるために祈る者の声は聞き届ける。しかし、愛から逃げようとするものに対しては、聞く耳を持たないのだ。」

「今、たくさんの人々が、生きるのをやめています。この人たちは怒りを受け止めようとせず、泣きもせずに、ただ、時間が過ぎるのを待っています。人生の挑戦を彼らが受け止めようとしないので、人生はもはや、彼らに挑戦しようとしません。あなたも、その危険をはらんでいます。人生に対し、立ち向かいなさい。生きるのをやめてはいけません。」

他の人々が何を望んでいるのかに耳を澄まし、彼を満足させるためにできることを行うのだ。その結果が利潤なのだ。

しかし人生は望みによってではなく、その人の行いによって作られる。

人生のあらゆる時期に、主は自信喪失という贈り物を与えるのだ。

言葉の中にもう神はいないのですか?
神はおられる。
しかし、神は自分が書いたことに対しては、それぞれに神の前に責任をとらなければならなくなるでしょう。

人生のすべてのことに、訓練は必要なんだ。

私たちは天使に話したいと思うあまりに、彼らの言うことを聞こうとしないのだ。聞くということはやさしいことではない。お祈りの中で、私たちはいつも、自分はどんな過ちを犯したか、何が自分に起こってほしいか、語ろうとする。でも、主はすでに、そのすべてを知っている。そして宇宙が私たちに語る言葉に常に耳を傾け、しかも忍耐強くあれと、私たちに望んでいるのだよ。

人生の戦いはみな、負け戦でさえも、私たちに何かを教えてくれる。大人になった時、君はうそを弁解したり、自分自身を欺いたり、愚かゆえに苦しんだりしたことに、気が付くだろう。もし、君がよき戦士であれば、自分自身を責めず、また、こうした過ちを繰り返すことを、自分に許しはしないだろう。

どんな苦しみも、やがては過ぎ去っていく。これこそ、この世の栄光であり、悲劇なのだ。

人は常に選択をしなければならない。そこに人の強さがある。決意する力だ。

もっと難しいのは、自分自身の道を決めることだ。選択をしないものは、息をし、通りを歩いていたとしても、主の目から見れば死んでいるのだ。

永遠の手はすべての魂に開かれており、みなそれぞれに自らの任務に励んでいる。太陽の下の全てのことには、理由があるのだ。

悲劇などない。あるのは、不可避な出来事だけだ。全てはそうあるべき理由を持っている。お前は、一時的なものと、永久的なものを区別するだけでよいのだ。

一時的なものとは?-不可避のことだ

では、永久のものとは?-不可避の出来事から学ぶことだ。

そして、あることを発見したのです。人生の意味とは、自分がやりたいと思うことをすることだと。

怖れは避けられないことが始まるまでしか、続かない。それから先は、恐れはその意味を失ってしまう。そして、我々に残っているものは、正しい決心をしているという望みだけなのです。

お願いだから行かないでください。どんなにか、あなたに私のそばにいてほしかったか。愛し方を教わるために、私にはあなたが必要なのです。私の心はもう、準備ができているのです。

「泣いてはだめ。お母さんは、人生は意味があるということを知るまでに、長い時間がかかりました。あなたに、このことを教えることができればいいのに、と思います。」

避けられないことを乗り越えるためには、規律心と忍耐が必要だ。それと希望も必要だ。希望を失った時、人は不可能に見えることと戦う力を奮い立たせることができない。それは将来の希望の問題ではない。それは、お前さんの過去を再び作り出すということなのだ。

この人々もまた戻ってくるが、素晴らしい物語を携えてやってくる。彼らは自分の人生の望みをすべて達成する。なぜならば、彼らは過去の怒りによって、行動を制限されはしないからだ。

人生を再建するのは、難しくない。アクベルを廃墟から立ち上がらせることが不可能ではないように。以前と同じ力を自分はもっているのだということに、気づくだけでよいのだ。その力を、自分たちのために使いなさい。

もし不満足な過去があるのならば、それはすぐに忘れなさい。お前さんの新しい物語を想像して、それを信じるのだ。自分の希望を達成した瞬間にだけ、思いを向けるのだ。そうすれば、その力がお前さんの欲することを成し遂げるために、助けてくれるだろう。

お前さんがしてきた良いことを思い出しなさい。勇気をくれるからね。もし少ししか良いことをしていないのであれば、もっと良いことをしなさい。

人生は私たちの姿勢によって決まる。そして、私たちは神が課した出来事を、生き抜かなくてはならない。神がそれを課す理由は重要ではない。しかも、どんなことをしようと、私たちはその出来事を避けることはできないのだ。

あなたや私のうけた苦痛は、決してなくなりはしません。でも、仕事はそれを耐えるために、役に立ちます。苦しみは、疲れた体を傷つける力をもってはいませんから。

尊厳を取り戻す力があることを、自分自身に証明しなければならなかった。

子供は常に3つのことを、大人に教えることができます。理由なしで幸せでいれること。何かでいつも忙しいこと。自分の望むことを、全力で要求する方法を知っていることの3つです。

時には、神と争うことも必要なのだ。

神が望んでいるのは、一人一人の人間が、自分の人生の責任をその手の中に握ることだ。主は子供たちに、最高の贈り物を与えているのだ。それは、自らの行動を選択し、決定する能力である。

心に聖なる炎を持つ男や女だけが、神と対決する勇気を持っている。そして彼らだけが、神の愛に戻る道を知っている。なぜならば、悲劇は罰ではなくて挑戦であることを、彼らは理解しているからである。

人は自らの運命を受け入れるのではなく、選択しなければならないということを、彼に教えたのだった。

神は限りなく慈悲深かったが、思い切ったことを行う勇気のないものには、無慈悲なほど厳しかった。

誰でも生まれたときにつけられる名前を持っている。しかし、自分の人生に意味を与えるためには、自分で選んだ名前を付けることを学ばなければならないのだ。

失った悲しみを心から捨て去ることはできるのでしょうか?
ーできない。しかし、勝ち取ったものの中に喜びを見つけ出すことはできる。

悲劇は起こる。だから、それをそのまま受け入れるのだ。そこから先は、自分の中の恐怖を脇に置いて、立て直し始めなければならないのだ。

しかし、神は必ず、神の子たちに二度目のチャンスを与える。人はこの新しいチャンスを生かさなければならないのだ。

神と戦うのは、罪なのではありませんか?
ー戦士が自分の師と戦ったら、戦士は師を怒らせるだろうか?

二度目のチャンスを与えられたもののように過ごしなさい。同じ間違いを二度犯してはならぬ。お前の人生の目的を決して忘れないように。

私たちは生命の聖なる神秘に慣れきって、それを大切にしていなかった。そこで、主はこう考えた。『彼らは行動しようとしないのか?では、ずっと怠けさせておこう』と。

愛し合う男女が一生の間、戦い続けるように。戦うことこそ、祝福なのだ。我々を成長させるからだ。我々は悲劇の中にチャンスをつかみ取り、神の与えた試練を乗り切った。

神が従順を要求する時もある。しかし、神が私たちの意志を試すときもある。神の愛を本当に理解させるのかを挑戦させるのだ。我々は人生について夢見ることをやめ、人生に生きることを選択したのだ。

自分が望むように、どんなことを決心してもよいのだから。しかし、1つだけ忘れないでほしい。あなた方は皆、自分で思っているよりも、ずっと素晴らしいということを。悲劇があなた方にくれたチャンスを、うまく使いなさい。すべての人がそうできるわけではないのだから。

私の道と出会ってくれて、本当にありがとう。

私たちは自分の生活に慣れすぎて、主の言葉を読まなくなったのだ。
その言葉はどこに書かれているのですか?
私たちの周りの世界にだ。君の人生に起こることに注意さえしていれば、君毎日いつでも、主がその言葉と意思を隠した場所を、発見できるだろう。主が言うとおりに行うようにしなさい。それだけが、君がこの世に存在する理由なのだ。

私たちが自分で望んでいる物へ向かって歩くとき、悲しみは永久には続きはしない。

人生の一つの階段が終わったことを知ることは、いつでも必要なのだ。必要なくなったのに、それにいつまでもしがみついていると、君は人生の喜びと人生の意味を失うだろうそして、神によって正気づかされることになるのだ。

主は厳しいんですねー主が選んだものに対してだけはね。

私たちのつまらぬ虚栄や悲しみは、その重要性を失ってしまう。私たちが征服したものも失ったものもすべて、下に残っている。山の高みから見れば、世界がいかに大きいか、地平線がいかに広いか、わかるのだ。

 

参考文献

この記事は以下の書籍から感じたものを書いた記事です。

第五の山

パウロ・コエーリョ/山川紘矢 角川書店 2001年06月
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by ヨメレバ

 

 

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