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人を愛することとは?人生の奇跡をどうやって見つけるのか?~ピエドラ川のほとりで私は泣いた~

投稿日:2019年3月17日 更新日:

「人を愛する」って一体どういうことなんでしょうか?

 

この世の中には沢山の愛があります。

家族に向ける愛。

友人や親友に向ける愛。

愛するパートナーに向ける愛。

そんないろいろな愛が合わさって、この世界を作っているのだと思います。

 

今回は、「愛がもたらす奇跡」について触れた本を皆さんに紹介します。

パウロ・コエーリョの「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」です。

愛とそれがもたらす奇跡について詳しく述べられている本です。

 

・愛は愛することでしか分かることができない。

・自分を愛することでしか、他者を本当にすることができない。

・自分を大切にすることでしか、本当に他人を大切にすることはできない。

そんな「他者への愛」「自分への愛」について知りたい人は、ぜひ一読してみてください。

 

この記事の要旨

自分を大切にし、常に自分が信じる者のために戦いぬくこと。それが本当の愛を生む。

 

内容の要旨

私たちは、自分が奇跡の真っただ中に生きていることに、ほとんど気が付いていません。奇跡は私たちの日常の中に起こり、神の合図は私たちに道を示し、天使たちは私たちにその声を聞いてもらいたくてうずうずしています。

 

神がやってくるのを許しさえすれば、神はどこにでもおられるのです。

霊的な体験とは、何よりも愛を実際に体験することだということを忘れてはなりません。

 

愛は心が決めることなのです。そして、心が決めることだけが、本当に大事なことなのです。

全ての愛の中には、成長の種子が秘められているのです。愛すれば愛するほど、私たちは神秘的な体験に近づきます。真に悟った人、愛によって魂を照らされた人だけが、その時代の禁制や先入観を乗り越えることができるのです。

 

愛を与えるものは世界を征服し、失うことを恐れません。本当の愛とは、完全に降服し、ゆだねることなのです。

良いことをするためや、誰かを助けたり守ったりするために、私たちは愛するのではありません。愛するということは、相手と一つになり、相手の中に神のきらめきを発見することなのです。

 

全ての愛の物語は、その本質はみな同じなのだ。

私たちはその日の魔法の一瞬が過ぎ去ってしまったこと、その時自分が何もしなかったことに気が付きます。人生の魔法と輝きはその姿を隠し始めるのです。
私たちはかつて自分であった子供に声を傾けなければなりません。その子供はまだ私たちの中にいるのです。その子供は魔法の一瞬を知っています。私たちはその子供の叫びを押しつぶすことはできても、その声を黙らせることはできません。

もし目覚めることがないのならば、つまり、もし子供のような無邪気で喜びに満ちた気持ちで人生を見ることを学ばないなら、私たちは生き続けても何の意味もありません。

もし、私たちが魂の中に住んでいる子供の声に耳を傾ければ、私たちの目は輝き始めます。その子供とのつながりを保っていれば、私たちは人生とのつながりを失うことはありません。

 

賢人が賢いのは、彼らが愛しているからだ。そして愚か者が愚かなのは、彼らは自分が愛とは何か、知っていると思い込んでいるところだ。

私はすでに、ほんの少しのことを得るために、かなりの代償を支払って生きてきた。自分がやりたいたくさんのことを、自分自身に対して無理やり拒否し、自分の前に開けていた多くの道を閉ざしてしまった。より大きな夢のためだと自分を偽り、本当の自分の夢を犠牲にして生きてきたのだった。そしてそのより大きな夢とは、魂の平和だった。

 

他者とは私に、私自身ではなくほかのものでなければならないと教えていた存在のことです。年を取った時に飢え死にしないで済むように、できるだけたくさんのお金を貯めるにはどうすればよいのかを考えるのが我々の義務だと、他者は信じているのです。だから、私たちはいつもお金のことや、お金を稼ぐ計画ばかりを考えていて、その結果、地上で暮らす日がほとんど終わってしまった時になって、やっと自分が生きていることを実感するのです。でも、その時には遅すぎるのです。

 

失望することを怖れ、私たちを動けなくしているのは、他者に他なりません。
ーでも、人生には苦しみがあるのでは?
ーそれに敗北もあります。それを避けることは誰にもできません。でも、自分が何のために戦っているのか知りもせずに負けるよりは、自分の夢を実現するために戦いのいくつかを失う方がずっと良いのです。

 

自分の人生から他者を追い出した瞬間から、神聖なるエネルギーが奇跡を行い始めたのです。

宇宙は僕たちの夢を実現するための戦いを、いつだって助けてくれているんだ。その夢がどんなにバカげていようとね。僕たちの夢は僕たちのものであって、その夢を生かし続けるためにどれくらいの努力が必要なのか、自分たちだけしか知ることができないのさ。

 

あなたの世界が異常だなんて思っていないわ。きっと、おかしいのは私の世界なんだわ。つまり私は自分の人生の一番大切な時を、教科書と授業だけに費やしているんですもの。そんなことをしても、私がもう知り尽くしている場所から逃げ出すためには、少しも役に立たないというのに。

私はこの瞬間に、私がどのように生きていたいかを想像し始めた。幸せで、好奇心にあふれ、楽しさいっぱいで痛かった。一瞬一瞬を大切に生き、生命の水を貪欲に飲みたかった。自分の夢をもう一度信じたかった。自分が欲するものを手に入れるために、多くのことのできる人生が欲しかった。

 

私たちが愛を求めた瞬間、愛は永遠を求め始める。私たちを救うために。

あなたは私を幸せにしてくれたの。そして、幸せは人に分けてあげると倍にも3倍にもなるのよ。

真理は信仰のあるところに存在する。

 

「僕たちにとって、自分は一番驚くべき存在なのさ。砂粒ほどの信仰があれば、僕たちは山をも動かすことができるのだ。僕が学んだのはそれだった。そして今は、自分自身の言葉に、自分でびっくりすることが何回もある。」

私が自分が思っているよりも、いつも良い人間であり、自分で信じているよりも強い人間であるということを、心に深く刻み付けた。

御心のままになりますように。

 

<主よ。御心のままになりますように。なぜなら、あなたは、子らの心の中の弱さをご存じだからです。そしてあなたは一人一人に、その人が背負えるだけの重荷をお与えになるからです。私の愛をおわかりください。なぜなら、それは私が持っている唯一、本当に必要なものだからです。私が来世に持っていける唯一のものだからです。どうぞ、私の愛が勇気を持ち、純粋でありますように。どうぞ私の愛が、世間の誘惑に打ち勝ちますように。>

『主に仕える道はいくつもある。もしそれが君の運命なのだと感じたのならば、それを探しなさい。幸福な人間だけしか、他人の幸福を作り出すことはできないのだから。』

 

涙は贈り物であるということにも、私は気が付いた。

たとえ、愛することが、別れや悲しみや孤独につながるとしても、愛はその代償の全てに値した。

 

「マリア様、あなたが愛したように愛することを、私にお教えください。」
「その愛の中で、そしてそれが捧げられる人の中で、育ちますように。」

 

愛はただ、愛するという行為によってしか、見つけることはできなかった。

「愛に質問はいらないのよ。なぜなら、考えるために立ち止まると、怖くなるから。説明のできない怖れ。言い表せないような、軽蔑されるのではないか、受け入れられないのではないか、あるいはその魔法がとけてしまうのではないかという怖れね。バカみたいだけど、その通りなのよ。だから何も聞かず、行動するだけ。あなたが何度も言っていたように、行動するだけ。危険を冒さなければ。」

 

「もう決して、私の中の闇に話しかけはしない。」と私は約束し、他者に通じるドアをきっちりと閉めた。「3階から落ちても100階から落ちても、同じだけ傷つくもの」もし落ちなければならないのなら、願わくば高いところからであってほしかった。

私たちが、勇気をもって愛を探し求めれば、愛は自ら姿を現し、私たちはもっとたくさんの愛を探し求めれば、愛は自ら姿を出現し、私たちはもっと多くの愛を引き寄せることになるのだと思います。もし誰か一人に真剣に愛されるのであれば、誰からも愛されるのです。

 

「あなたの疑いに勝ちなさい。とても大事なことですよ。」

 

神はここ、私たちのすぐそばに、いま、います。

 

世界は今、多くの人々が同じ言葉を受け取り始める時代になっているのです。それらの言葉は『あなたの夢に従いなさい。人生を変えなさい。神へと導く道を行きなさい。あなたの奇蹟を行いなさい。癒しなさい。天使の声に耳を澄ませなさい。自分自身を変えなさい。戦士になり、良き戦いを戦って、幸せになりなさい。危険を冒しなさい』というものです。

 

なぜ山のようになってはいけないのですか?
ーおそらく、山の運命がつらいからでしょう。

信仰によって神に近づけば近づくほど、神は簡素になっていく。そして彼が簡素になるにしたがって、彼の存在がますます大きくなっていく。

 

お願い。グラスを割って。くだらない規則や思い込み、あらゆることに説明を求めるくせ、他の人が認めることだけをする習性から、私たちを自由にして。

 

幸いなる者とは、最初に歩んでいくものである。いつか人々は、男も女も天使の言葉を話すことができるということに、気が付くことだろう。そして私たちはみな聖霊からの贈り物を持っていること、奇蹟や癒しや予言を行うことができるということを発見するのだ。

 

僕たちは他人の人生をとやかく批判してはいけない。人はそれぞれ自分の痛み、自分の諦めしか知らないからだ。自分が正しい道を歩いているのと感じるのと、自分の道が唯一の道だと考えるのは全くの別のことなのだ。

あなたにはあなたの人生があるのよ。大切な人生が。もっと自分を大切にしなさい。

 

愛も生まれる前から存在し、そして永久に存在し続けるのです。

 

愛の物語はみんなほとんど同じです。私も人生のある時点では、同じことを体験しました。でも私が学んだことは、愛は別の人や新しい希望や新しい夢の形で戻ってくる、ということでした。

 

「忘れてはだめですよ。愛は永遠です。変わるのは人間です。」

 

「僕は君と一緒に川のほとりに座っているつもりだ。もし、君が家に寝に帰ったら、僕は君の家の前で眠る。そしてもし君がどこかへ行ったら、僕は君についていく。君が僕に去れと言うまで。その時は僕は去るつもりだ。しかし、僕は君を一生愛している。」

「さあ、君の荷物を取りに行こう。夢を実現するということは働くことなんだ。」

 

「愛の癒し」とは人の心の中に真の愛と慈悲が生まれたときにのみ、起こるものなのです。

 

「作家の役割とは、人々に何かを伝えることではなく、人々が自らを映し出すための鏡になることだ」

 

人に笑われるのではないか、文句を言われはしないかと言った怖れや、自分の中の他者の支配から抜け出して、自分の本当の心の声に素直に従い、自分の夢と憧れを自分に許した時、私たちは真の幸せと喜びを体験できるのです。」

 

参考文献

ピエドラ川のほとりで私は泣いた

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