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心理学 メンタルヘルス

現状に異議を唱えて正しい行動をするために~結果の論理と妥当性の論理~~

投稿日:2018年7月7日 更新日:

こんにちは、しゅゆです。

リスクを冒してでも、現状に異議を唱えて正しい行動をとろうとする人々はどのような行動理念をもっているのでしょうか?

例えば、ユダヤ人大虐殺のさなかに周囲のほとんどの人が見て見ぬふりをしていたのにも関わらず、勇気を出してユダヤ人に救いの手を差し伸べたひとは、どのようにして自分の行動を決めていたのでしょうか?

実は最近の研究で「妥当性の論理」か「結果の論理」、どちらの論理に従って行動を決めるかで現状に異議を唱えてでも自分が正しいと思う行動をとることができるかどうかが決まってくるそうです。

今回は人の行動を決める妥当性の論理と結果の論理についての話です。

 

妥当性の論理と結果の論理

スタンフォード大学の教授、ジェームズ・マーチによると、何かを決断するときの考え方は2通りあるそうです。その二通りとは「結果の論理」と「妥当性の論理」だと言います。結果の論理とは「どう行動すればよい結果が得られるか」と考えることで、妥当性の論理とは「私のような人間はこのような状況ではどうすればよいか」と考えることです。

そして現状に異議を唱える挑戦的な人は妥当性の論理を使います。決断の結果を見るのではなく、自分のアイデンティティを重要視し、自分がなりたい人間像に従って行動するので、現状に異議を唱え、正しい行動をとることができるのです。しかし、決断の結果を見てしまうと、リスクを取ることができなくなり、正しい行動をとることができなくなります。つまり、妥当性の論理に基づいて行動すれば、リスクをとってでも自分が正しいと思う行動をとるようになるのです。

このことを裏付ける証拠として、社会学者であり教育研究科であったサミュエル・オリナーとパール・オリナーが行った調査があります。その調査では、ユダヤ人虐殺が行われている時に、ユダヤ人に救いの手を差し伸べた人は、妥当性の論理に従って行動することが明らかになりましした。

また、「兄弟でリスクを取る傾向に違いがある」ことを説明した記事で登場したジャッキー・ロビンソンはホームへの盗塁を行う際の動機として、「戦略としてはいいとは思えなかったけど、ベースから飛び出してしまったんだ。成功するかどうかなんて本当にどうでもよかったんだ。」と述べています。彼は最良の結果を追い求める結果の論理に従うのではなく、自分のような人間はどうすべきか?を中心として考える妥当性の論理を使っていたのです。

このように妥当性の論理を用いる人は、世間一般の意見に流されることなく常に「私のような人間にはどうすべきか」を考えているので、たとえリスクがあったとしても、彼らが正しいと判断した行動を取ることができるのです。

 

妥当性の論理を育むためには?

「ある特定の宗教を選んだからといって、ユダヤ人が迫害されるなんて理解できないし、許せません。ユダヤ人を助けたのは、溺れる人を助けるのと同じです。目の前で溺れている人を見て、“あなたはどの神様を信じていますか”?なんて聞かないでしょう。そこへ行って助けるだけのことです。」

ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代より抜粋

これはユダヤ人虐殺のさなかにユダヤ人に救いの手を差し伸べた人の言葉です。

私たちが教育する子供たちは、将来ユダヤ人虐殺のさなかにユダヤ人に助けの手を差し伸べるような、常に良い人格者であろうとする妥当性の論理で動く人になってほしいですよね。では、そのためにはどのような教育を行うべきなのでしょうか?

前述のサミュエル・オリナーとパール・オリナーはユダヤ人に救いの手を差し伸べた人と、そうでない人をさらに詳しく調べました。すると、両者の違いはたった一点だけだったということも明らかになりました。それは「彼らの親が悪い行いに対してどのように教育したか、よい行いをどのように褒めたか」というたった一点の違いでした。

もう少し詳しく説明すると、よい人格について触れながら教育を受けた人は、妥当性の論理に従うようになり、よい人格には触れずによい行動をとるように教育を受けた人は結果の論理が働くようになるのです。

妥当性の論理を用いる人が幼児期に悪い行いをしたときは、親から「悪い行動が周りの人々にどのような影響を与えるのかに触れながら諭された」ので、自分の行動が周りに与える影響を考慮し、他人の気持ちや苦悩を考慮する人間になります。そして自らの行いが人を傷つけることがあることも理解するので、他人への同情心や悪い行動を行った自分への罪悪感を感じる人間に育つのです。

そしてよい行いを行ったときは、親からよい行いをしたという事実を褒められるのではなく、よい行いを行った人格を褒められたのです。つまり、「よいことをしたね。えらいね。」と褒められるのではなく、「他人を助けたいと思っているんだね。本当に素晴らしく、人の役に立てる子なんだね。」と人格を褒められる教育を受けたのです。結果、褒められた人格を自分のアイデンティティの一部だととらえ、もっと他人の役に立つ行動をしようと思うことができたのです。

つまり、「不正をするな」と言われただけでは、一度不正をしたところでなんの後ろめたい感覚も覚えません。しかし、「不正をする人になるな」と言われると、不正をすると自分のアイデンティティが損なわれるような気がして、不正をすることに後ろめたい感覚を覚えるようになるのです。

「人の役に立つ行動をしろ」と言われただけでは、「一度人の役に立つ行動をすればよいだろう」という結果の論理で行動するようになりますが、「人の役に立つ人間になれ」と言われると、「人の役に立つ人間とは何だろう?」「私はどのような人間になりたいのだろう?」という妥当性の論理が導かれるのです。

 

ここまでをまとめてみると、「子供たちに自由を与えて、自身の行動を制御する発想を持たせ、自分の行動が他者にどのような影響を与えるのかを説明し、正しい人格者であるような行動をとるように教育する」ことができれば、妥当性の論理で行動する子に育つのです。

そして妥当性の論理に従って育つ子供は、大人になっても正しい人格者であろうと「自分がなりたい人間像」を追い求めて行動するようになります。結果として世間に背くような勇気ある正しい行動ができる人間になるのです。

以上です。私たちが教育を行う時は、自身の行動の結果を考えることができる良い人格者であろうとする意欲を育むことを意識して教育を行うべきなのですね。

 

参考

ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代

 

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