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努力の仕方 日記・雑記

20歳になった感想やこれまでの人生の振り返り、将来への展望などを書いてみる

投稿日:2018年9月3日 更新日:

20歳になりました。私は1998年生まれで、どうやらここまで20年間も無様に、奇跡的に生きてくることができました。

さて、ここでは今までの私の人生の振り返りやこれからの展望を書いていきたいと思います。

私個人を知っている人や、私が何を考えて生きているのかに興味がある人は読んでみても良いかもしれません。

ただ、あくまでも自分が後から見かえすために書くので、読みずらいかもしれませんが悪しからず。

(書いたあとに見返してみると、なかなか行動をするためのモチベーションを高めてくれるような内容になっていることがわかったので、努力に自信がない人とかも読んでみると面白いかもしれません。

 

以下自己紹介動画です。今私が思っていることや、これからの目標を過去の経験を踏まえて解説しています。参考にしてください。

 

小学校時代に感じたこと

塾に通いだしてから、まずは自分には才能がないということを実感し、努力を人の数倍しなければ人並みになれないことを自覚。

幼稚園時代の自分は、頭が良い方で運動もできたので、周りからちやほやされていた。周りの人が皆自分のことを好きであるかのように勘違いしていた。

那須きのこの作品「空の境界」でも似たような表現があるが、「小さい頃は皆が自分を愛してくれているかのように勘違いしている」の実感が小学校時代。

ただ、私の家族のことは大好きでしたし、私が生き物に興味を持てるようになったのも、人並みの感性を持てるようになったのも、家庭教育と家庭環境のおかげだと言えるので、兄、母、父には感謝を。

思えば幼稚園時代や小学校時代に私のことを好きだと言ってくれた人は今どうしているだろうか?

そしえ彼女たちは自分のどの部分を好いてくれていたのだろうか?そんなことを考えてみると面白いかもしれない。

人は昔のことを思い出して郷愁を感じる時に幸せを感じる。

自分がいま本気で楽しんでいる時は、自分が幸せであることを実感できないが、後からその体験を振り返ってみると幸せを感じるようになっている。そして、人は過去のことを思い出すときは大体が美化されたものを思い出している。

もっと大変なことがあったのに、もっと辛いことがあったのに、昔のことを楽観的に思い出す。それが自分にとって、生存にとって有利に働くからだ。

いま小学校時代や幼稚園時代を思い返してみても、嫌なことはあまり思い浮かばない。

飼っていたザリガニが死んで悲しんだことを、飼っていたモンシロチョウが死んで悲しんだことを、兄と父と三人で一緒に夜寝ていたことを、私の足の裏に画びょうが刺さったことを、様々な場所に旅行に行ったことを、私がタオルが大好きで常にタオルを身にまとって生活をしていたことを、家族と一緒にお風呂に入ったことを、幼稚園まで毎朝父親が送ってくれたことを、小学校の入学式の日にランドセルを背負ってマンションの玄関付近で記念撮影をしたことを、兄と一緒に公園で遊んだり何かに追い掛け回されたことを、小さな足でピアノの上に登ったことを、ベランダから見る景色が好きだったことを、毎年の冬にひどい風をひいていたことを、ドラえもんなどのアニメにはまったことを、いま思い返せば、全てが良い体験だったと感じる。

懐かしい、かなたの景色のように感じる。郷愁とはこういう気持ちなのだろう。

これらの体験は今の私にどのような影響を与えているだろうか?

エピジェネティクスの観点から言っても、幼児期の体験はその後の人生と、その後の世代に大きな影響を与える。

全ての体験が無駄ではなかったと思いたい。私は過去から続く一直線上に存在しながら、未来を良くするために今を必死に生きるだけの、ただの人間なのだから。

幼少期に私が出会った人々は、私に大きな影響を与えてくれた。しかし、私はどれだけの影響をそのような人々に与えることができたのだろうか?

私はまだ小さかったため、大した影響を与えることはできなかっただろう。ならば、私がもっと大きくなって、もっと影響力を持った時に、小さな子供たちに多くのことを教えればいい。私が幼少期に受けた恩を返すだけ。

そして私に影響を与えてくれた人々にも恩を返せばよい。

人は基本的に楽観的に生きている。そして、人は基本的に自分のことを幸せだと思っている。思い込んでいる。「周りの人が全て自分を愛してくれる」という言葉が幻想であったとしても、当の本人は幸せに生きているはずだ。

だからこそ、子供を愛してあげるべきなのだ。本人が幸せに生きている幻想を砕く行為は、私がすべきものではない。本人が、成長の過程で得る大事な教訓なのだから。

幼稚園時代の私は、周りからチヤホヤされていて幸せに生きていた。そして小学生時代の私は自分に努力が必要であることを自覚し、まだ不完全ながらも、「周りは全て自分を愛してくれている」という勘違いが、むなしい幻想であることを自覚し始めた。

周囲に生まれてきたことを祝福され、生きることを祝福される。それが本来の人の姿だ。ならば私も他人が産まれて生きていることを、祝福しよう。

たとえこの世界が自分を嫌っていることを自覚したとしても、たとえ将来にどれだけ辛い事実が、見たくない真実があったとしても、人間がどれほど醜くて、愚かな生物であるかを知ることになるとしても、世界がどれほど残酷であるかを知る羽目になろうとも、今を生きている、それだけで祝福されるべきだ。

幻想は壊れる。だからこそ、その幻想を砕いてはいけない。その幻想を壊す行為は、他人からではなく本人が行うべき行動なのだ。

 

中学時代に感じたこと

いじめられて、自分の価値観が幻想であることを自覚した。再認識した。完璧に、完全に、完膚なきまでに事実を知った。

この世界は力があるものが勝つ。そして、その力というものは本人の努力で得ることもできるが、それ以上に産まれてきた環境や、親の収入などの面で形成されることが多い。

何かを得ようとするためには、何かを犠牲にしてまで努力しなけれなならない。他者の才能の違いや環境の違いを壊せるものは本人の努力しかない。

しかし、その努力は大抵の場合むなしく散ってしまう。

本人がその努力のために他のことを捨てることをしないからだ。

その努力のためだけに生きないからだ。

この世界は美しいほどまでに残酷で、目を背けてしまうほど醜い。だからこそ、かすかな一部の善や美に人は好かれる。たとえそのほとんどがねつ造であったとしても。そして私たちが意識すべきことは、そのかすかな善や美を世界の全てだと思わないことだ。

私は中学校に入学して、またもや自分の才能のなさを自覚した。そして自分の体の弱さを自覚した。

だからこそ人一倍勉強してきたつもりだ。兄の受験の失敗の影響もあったのかもしれないが。

いじめられたことで人の醜さを知った。自分の力のなさを知った。力がなくて、隅で泣いていることしかできなくて、他人から無視された。

しかし、その中で努力を続けることは往々にしてできなかった。

私は卓球部と生物部に所属していて、卓球部は中学1年で辞めた。生物部は3年間通い続けた。

生物部で透明標本というものを作った経験が、一年前の私を医学研究の道へと向かわせたのだろう。

中学生時代の記憶は正直、薄い。

家庭環境は兄の受験の関係で私にとって苦痛になっていた。そして、学校というものは往々にして快適な環境だった。もちろん嫌な授業もあったが、それも今となっては苦痛でも何でもない。私が成長するために必要な苦痛だった。

私が本格的にアニメにはまりだしたのも、中学時代だ。

架空の世界の、現実ではありえない程に美しく秩序立てされた世界を好きになった。架空や空想を好きになった。たとえフィクションであっても、その作られた世界を愛することができた。

そうすれば現実から目を背けることができるからだ。

中学時代の私は、人の醜さを自覚していなかった。いや、恐らく自覚していたのだろうが、その事実を見ようとしなかった。そして勉強という自分の努力が、いつか報われることを信じていた。

健気に信じていた。

見えている世界がどれほど自分の幻想だけで固められていたのかを知らずに済んだから、信じることができた。

人は環境によって価値観を決める。

そのため、私の価値観は確かに歪んでいくことになる。

 

高校時代に感じたこと

さて高校時代。

吹奏楽部に入った。だが、なかなか上手くいかなかった。

そして「自分の努力と才能が活かされる場所以外では、活動をしてはいけない」ということを自覚した。

音楽の評論も、何かの評価も、全て他人から下されるものだ。

そしてその評価が明確なものであれば良いのだが、その評価が明確でない場合、自分の努力が無駄になることは往々にしてあり得る。ただし、世の中で評価される絶対的な価値観や基準というものはあるはずで、その基準や価値観を求めることをすべきだ。その基準とは稼ぐ金かもしれないし、社会的な地位かもしれないし、どれだけ多くの人に知られているか、という知名度かもしれない。

まあ、とにかく自分の努力が活かされる場所で努力をすべきだ。

そして他人からの評価が下される場所では、努力が無駄になることは多く、自分の努力するモチベーションも下がってしまう。

しかし、世の中で生きていくためには、他人から評価される絶対的な価値観というものを意識しなければならない。そのためには、日々の生活では自分の成長度合いを自覚し、常に「自分が成長しているかどうか」だけを見る。

そして自分の努力を世の中に打ち出すときには、科学的に支持された法則を意識して打ち出さなければならない。ということ。

高校時代はいろいろなことをした気がする。

また、高校時代は世の中の醜さと人間の醜さを自覚し始めた。

過去の人間の歴史を手繰ってみると、基本的に人は同じことを繰り返し、同じように失敗しているからだ。

家族や社会、国を形成した挙句、他の共同体と価値観が違うとか、利害が一致しないとか、一部の富裕層の金儲けのために戦争をする。そして戦争で時間と金と命を無駄にするくせに、なんども戦争を繰り返す。大義のためとか、騎士道や武士道のためとか、国のためとか、いろいろな理由で。

色々な方法で共同体の指導者は共同体に所属している人々を教育し、洗脳し、感化していく。そして自分の思い通りに動く人形を作り出す。その人形で戦争を行うわけだ。人形なんだから使うことに躊躇する必要がない。肉と油と水だけで構成された人形はいなくなってもまた新しいものを作ればよいからだ。

戦争をしている等の本人たちも、その戦争は仕方のないことだと諦める。知識がなく、考える力がなく、与えられた環境で何とか生き延びようとする。家族を殺されて、子供を殺されて、夫を殺された女が半年後には新しい子供を作る。そしてこのように言う。

「この子を兵士にするんだ」

なんて。何とも愚かしいし、笑ってしまうほどだ。

そしてこの世界を動かすものは金だ。

金さえあれば基本的に何でもできる。命も買える。愛も買える。大義も買える。

一部の富裕層かつ賢い人々に、貧困層は搾取される。

富裕層は貧困層の人々が力と知識をもつことを嫌がり、できるだけ目に見えない形で抑圧する。貧困層は自分たちの境遇を幸せだと感じて、貧困層と富裕層のバランスが崩れることはない。

これがこの世界だ。

格差は存在し、命の価値の違いは存在し、人の価値の違いは簡単に決まる。

人の価値はお金を持っているかどうか、そして、名声を持っているかどうかで決まる。

自分の価値を最大化するためには、帝国・軍国主義の場合は軍人で参謀でも目指せばよかったのかもしれないが、今はそうはいかない。単純に国の長の言うことに従うことは、愚の骨頂だからだ。できるだけ一般市民を考えないようにして、バカにするためなら、国や長は手段を択ばないからだ。

今の時代はできるだけ自分が稼ぐ金を多くして、できるだけ多くの人々に知られることをしなければならない。

だからこそまずは、受験勉強を通じて人一倍賢くなることを目標としていた。まあ、私は受験勉強への才能はなく、人一倍の努力をしたわけだが。

 

大学に入ってからいま感じていること

大学に入ってからは、できるだけ自分の知性を養うために、研究室で研究をする環境に入った。そこで様々なことを実感しながら、成長することになった。

まず、どんなことにも失敗は必要不可欠であるということ。私は高校までの人生で、できる限り失敗を避けるような方法をとってきたが、それは現実世界では到底不可能だ。失敗する確率をできるだけ減らすことはできるかもしれないが、失敗を恐れて行動できなくなってしまうことが本当に痛い。

失敗しても、それを成長の糧にすればいい。

私は大学に入ってから1年もたたずに部活をやめた。

その理由は自分の思うような生活が送れなかったから。そして、部活動にあまり価値を見出すことができなくなったからだ。

私は常に自分の資産を形成することを意識して行動している。

自分の行動は、ブログに記録したり、youtubeで動画として保存したり、経験も資産になるから、常に新しい経験をすることを意識している。

そして、この資産は絶対に色あせることはないし、後々に活きてくることは明確だからだ。

自分のことを世の中に知ってもらう努力こそが、今後の人生を、自分の命の価値を決める。そのためなら、できるだけリスクを取らないように、ひたすら行動できる。

人間関係の構築が大事なことは分かるが、人間関係なんて自分でコントロールするものだ。人間関係は自分のために取捨選択すべきものだ。

そして私は他人に期待することが大嫌いだ。他人の手助けを期待することはほとんどないし、私以外の人間が私の期待以上の行動を残すことはほとんどないと思っている。まあ、その結果、私も他人からは期待されない存在になったわけだが。

だからこそ、誰かに頼ることは大嫌いだ。

しかし、デール・カーネギーが「人は自分独りではなにもできないと知った時に、初めて成長できる」と述べているように、私は他人に頼ることを覚えなければならない。

また、自分の性格も意識した。

私の性格は、自分が熱中できることには短期集中で集中して取り組むことができる。しかし、ある程度の努力を続けると、私は簡単に飽きてしまう。つまり飽き性。そして他人から振り回されることをとことん嫌う。他人と意味が無いのに一緒にいることを嫌う。そんな性格だ。

一見すればこの性格はなんとも使いようがない、どうしようもない性格な気がするが、どんなものでも、使い方で全て変わってくる。

自分の性格の良さを最大限発揮するために、自分の理想の人間関係を形成するための知識の収集と実践を行っているし、自分が飽きないようにする工夫を収集した知識を基に常に行っている。

人間関係なんて簡単に構築できるし、簡単に壊せる。

人はその構造上、どうしても他者とのつながりを求めてしまう生きものだ。自分のことを理解してくれる人の出現をだれよりも望んでいるし、独りだと寂しいという感情も、生存のためにはどうしようもない感情だ。

人は自分と同じ行動をとって、同じ時間を過ごして、同じような考え方をする人を好きになる。だが、私と同じような考え方をしている人は、すぐそばにはいなくなった。

だからこそ、私は自分の環境を変えるために新しい人間関係を形成する。

自分の成長はなかなか確認することはできないが、人間関係が変われば、自分が成長できたということを実感できるようになる。

そして、私は別に人のことが好きではない。が、人に純真たる興味を持っている。

自分を含めて、人はなぜどうしようもなく愚かしく、なぜどうしようもないまで魅力的なのか。

その矛盾した構造にひどく惹かれる。

だからこそ人間の心理について学ぶことは楽しいし、その学んだ知識を実生活で実践することは面白い。

世界は残酷であるにも関わらず、時にはひどく魅力的に見える。その理由を解き明かしたいと心の底から思っている。

また、自分の努力が足りないことも自覚した。

まだまだ足りない。しかし、焦ってはいけない。まずは最高のパフォーマンスを発揮するための環境づくりと、健康づくりだ。

正しい努力こそが、人を成功に導く。無駄な努力は一生報われることがない。

そして日々の努力はまるで自転車に乗る時のように、焦ることなく、しかし全力で行う。

安定と不安定のはざまにいる時に、人は最高のパフォーマンスを発揮する。だからこそ、安定と不安定の揺らぎを自ら形成すること。これが努力のコツだ。

自身の目標と、価値観と、今の行動が常に一直線で存在していることを意識する。

これが私の行動理念だ。

たとえ思ったような努力ができなくなったとしても、日々少しでも前進すれば私の勝ちだ。

日々少しでも資産を形成して、世の中に自分の存在をアピールできるようになれば、私の勝ちだ。

他人からの評価なんて気にする必要はないし、自分にとってはじゃまになるだけだ。自分が成長しているかどうか。ただその一点を見つめて、私は日々努力する。

 

これからの展望

ここまで色々述べてきたが、これからの展望は「自分の価値を最大化すること」

分かる人にはこの一言で分かるのだが、起業だ。

アントレプレナー。原義は「リスクをとるもの」

一度今年の4月に行おうとして挫折したので、その失敗を活かしてやってみようと思う。

期限は半年。期限設定大好き。

新しい分野を開発する。既存のものを二つ組み合わせるだけで新しいものができる。

既存の本に書いてある知識も、私の手を通じればそれはもう別のものだ。

アイデアは言わないが、半年後には「Yes, I do have a company」って言えるくらいになる。

 

まずは2冊の本の出版だ。

 

20歳になったことで、できることが色々増えた。

今までにできなかったことも、今までにできたことも、全ては自分の成長のため。

何事もやってみなければわからないが、失敗のリスクをできるだけ軽減することはできる。

 

人は自分の目を通じてでしか世の中を見ることができない。

だからこそ私は、今の自分が見る世の中をもっとよくするために、私自身が編み出したものの価値を最大化する必要がある。

 

人間が生きるのなんて、すべてはしょせん自分のためだ。だが、その自分のために生きていく中で、他者に貢献することはできる。

 

私を嫌う人は嫌ったらいい。批判する人は批判すればいい。

行動しない口だけでものをいう人には付き合う価値がない。

嫌悪も、憎悪も、期待も、批判も、好意も、全て受け止めて自分自身の世界を作って見せる。

 

そして、愛することはできないが、興味を持つことだけはできる人間を幸せにしてみせる。

 

その幸せが自分自身の幸せにつながるのだから。

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